生と死

 

 4月14日。

今日は、中高時代からの親友の誕生日だ。

毎年この日が近づくとスケジュール表に「誕生日」と入力していたから、準備は万端である。

 

「お誕生日おめでとう。中学生で出会ってから17年。いつも本当にありがとう。

これからも素敵に過ごしてね。コロナが落ち着いたら飲みにいこう!!」

「ありがとう!早く落ち着くと良いね。今、漫画読んでるよ〜」

 

心を本当に許しあえる、なんでも話し合える友人だからこそ、

今日は良い日になるな、そう確信していた。

 

朝から清清しい気持ちで仕事に向かい、

お昼ご飯も作って、

そして出かける用事もないのに化粧をして、

お母さんとくだらない電話をして。

そう、ただただ、今日は良い1日になると信じてから。

いや、良い1日にしたいと思ったから。

 

 

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「哀しいお知らせです。」

 

 

「哀しいお知らせです。先ほどおばあちゃんが亡くなりました。老衰です。今からお父さんと八幡浜に帰ります。」

 

打合せの途中に開いた、何気ない母からのラインに、

まさかこんな言葉が書かれているなんて。

 

信じられない。信じたくない。だって、私、愛媛に戻ってないじゃん。

おばあちゃん、今度またね。元気にしてね。ってそういって別れたよね?!覚えてないの!

 

母親に電話すると、父親が電話に出た。

「実はずっとわかってたことだよ。人間はいつか死ぬんだし、今日の昼まではピンピンして他らしいけど、急に息が苦しくなって、穏やかに息を引き取ってんだって。

おじいちゃんの手を握ってたらしいよ。あの二人の仲を考えると、信じられんよ。」

 

気づいたら、私はずっと泣いていた。わからないけど、泣いていた。

現実もわからないし、理解できないが、

ただただ「おばあちゃんの死」という言葉だけで泣いてしまった。

 

「わかった。でも私は、まだお別れしてないし、お別れもしたい。」

 

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「コロナがあるから、帰れんよ。」

 

愛媛県では以前、葬儀場でのコロナウイルス集団感染のニュースが流れて以来、

お葬式は最小人数にした方が良いとなっており、

ましてや東京から里帰りなんて以ての外である。

 

誰も悪くないし、誰も責められない。

わかっている。けど、誰かを責めたい。

普段なら、お別れもできるのに、この状況のせいで….

世の中で一番初めにコロナウイルスをもった人を恨むほど、

わたしの怒りの矛先は行先を捉えていなかった。

 

おばあちゃんは、唯一の孫である私を本当に可愛がってくれた。

野菜・果物が嫌いな私だが、祖父母の家は農家である。

みかん・ぶどう・イチジク・ピーマン・なすなど、本当にいろんな物を作っていた。

 

小さい頃は、桃狩り、ぶどう狩り、みかん作りなどを手伝ったり、

夏はカブトムシやクワガタを捕まえにいったり、

夜空を眺めて天体観測したり。

 

おばあちゃんが飼っていた鳥が鷹に食べられた、とか、

おばあちゃんがみかんを摘むときに怪我した、とか、

今年のみかんは美味しい・イマイチ、とか、

下の家の人が挨拶をしないし素行が悪い、とか。

中学に入学するまでは、そんな他愛ない話をしていて、

何気ない当たり前の日常に感謝なんてしてなかった。

 

中学に入学してからだろうか。

わたしは勉強ばかりしていて、

当時は、愛媛県という狭い世界も、「田舎」も嫌いだったし、

おばあちゃん宅の五右衛門風呂や牛乳石鹸も苦手だった。

いつの日か、

田舎のおばあちゃん宅には泊まらなくなり、日帰りになった。

大学入学とともに上京することが決まった私に、

「寂しくなるけど頑張ってね。とにかく身体が一番。」

そういって、送り出してくれた。

 

大学に入って愛媛とは異なる新しいキラキラした世界が楽しかったわたしは、

愛媛へ帰る期間も短くなっていった。

そうなると、祖父母の家の滞在時間が2時間程度になっていった。

 

食べないとわかっていながらも、

いつもみかんを送ってくれたおばあちゃん。

 

腰が痛くて自分の方が大変なはずなのに、

いつもわたしの健康を気遣ってくれたおばあちゃん。

 

「結婚はいつ?」と不器用だからこそ、

いつもストレートにわたしに質問をしてくれたおばあちゃん。

 

私がテストで良い点をとったり、

入学・就職したときとっても喜んでくれたおばあちゃん。

 

私が帰ると、自分が使わないからと、

たくさんお小遣いをくれたおばあちゃん。

 

自己犠牲だらけじゃん。わたし、まだお別れいってないじゃん。

 

誰も悪くない。でも、あまりにも身勝手だと思うよ。

わたしが責めたいのは、おばあちゃんなのかもしれない。

 

そんな気持ちが溢れて、私は数年ぶりに嗚咽を漏らして泣いている。

 

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「生きる」ということ

 

「生きる」ってなに?「死ぬ」ってなに?

 

わたしは今朝、生まれてきた人の生誕を祝った。

ただ夕方、生まれてきた人の死を悲しんだ。

同じ日に、2つの感情を経験したのは初めてである。

 

誰かの「めでたい日」は、誰かにとって「悲しい日」である。

その循環や連鎖によって、人類は生かされてきたのである。

 

わたしは、今日初めてその連鎖を感じ、

「生かされている」襷を誰かに繋いでいく必要があると強く感じた。

 

「人間はいつか死ぬ。だからこそ、生きないといけない。

おばあちゃんがお前に願うことも「生きる」ことだよ。」

父親が電話越しにいった。

 

そうだね。

わたしは、おばあちゃんのおかげで今いるわけだし、

もっともっと「生きよう」って思うよ。

 

わたしにできることは、

与えられた命の中で精一杯「生き抜く」こと。

 

あとね、おばあちゃん。

おじいちゃん、お父さん、お母さん、わたしがおばあちゃんを覚えている限り、

おばあちゃんはずっと私たちの中で生きてるからね。安心してね。また会いにいくから。

 

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わたしがこの記事を書いた理由は、

「コロナウイルス」により、

それ以外で死んでいく人の存在がどこかで消されている気がして、

忘れ去られてしまうおばあちゃんをずっと記憶に残しておきたかったのと、

 

そして、

「コロナウイルス」により、

「地元に帰ってお葬式も出られない自分」がおばあちゃんに対して償いをしたかったからだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリー〜スター誕生〜」と「ボヘミアンラプソディー」を観終わって

 

新年、あけましておめでとうございます。

昨年は、あまり更新できずに1年が終わってしまいました・・・

 

自分的にはたくさん映画を見て、

いろんなところに行って、

たくさんの人と会った1年でした。

 

今年は、どんな1年にしたいかは、今まとめているところです。もう1月5日だけど・・・

まとまったら有言実行すべく、動いていきたいと思います。

 

さて今回は、

現在公開されている「アリー〜スター誕生〜」と「ボヘミアンラプソディー」を見に行ったので、個人的にこの2つの映画を3つのポイントから比較して見たいと思います。

劇中の歌について

 

どちらも抜群によかった。

ボヘミアンラプソディーについては、もともとクイーンが好きなこともありほとんど9割の曲は知っていたし、

アリーについては一度も聞いたことがない曲だったが、鑑賞後につい口ずさみなくなってしまう曲もあり、1回でキャッチできるような素晴らしい曲が多かった。

 

映画の構成について

映画の構成が若干異なると感じた。

かなりざっくりだけどまとめるとこんな感じ。

 

ボヘミアンラプソディーは、

バンドが軌道にのる(陽)

途中で対立(陰)

自分で反省する(陰)

元サヤに収まる(陽)

といった方向で、

フレディーマーキュリーの亡くなるまでの暗い部分については描いていない。

 

一方アリーは、

田舎のバーで歌う女性が有名スターに出会う(陽)

一気にスターになる(陽)

旦那がアルコール中毒とわかる(陰)

失意にくれるものの、自立して生きていく覚悟を決める(陽&陰

 

最後は陰が強めの陽だったので、

少し後味が悪かったので、ボヘミアンラプソディーのほうがよかった。

 

伝えたいメッセージについて

 

あくまで私が感じたことではあるが、

 

この映画では両者ともたまたま「スター」になったが、

人間は上に行けばいくほど、

自分の欲が出て相手を傷つけてしまったり、

自分の良いように解釈をしてしまって意見を聞かなくなったりと、

徐々に孤独になっておごってしまう生き物だからこそ、

真摯に自分を見つめる「軸」を持って、

誰が人生にとって大切なのかをしっかりと見つけてください。

そんなメッセージなのかな~と個人的には受け取りました。

違うかも。笑

でも、私はこれを見て、

一番私を大切に思ってくれるのはやはり家族であるし、

大切にしていこうと思いました。

 

今日はこの辺で。

 

デザイン思考はもう終わり・・・?

 

先日、先輩に

THE DESIGN FUTRE

という本を手渡された。

 

私が???突然くれるのか???

という表情をしていたら、

「きっと今の世界が広く見えるようになるから、読んだほうが良い。」

と勧めてくれたのである。

(ちなみにその先輩は、仕事に置ける自分のスタンスがあって、とても尊敬している。)

 

内容をざっくりとまとめると、、、(ネタバレです。)

 

デザインという概念はアートとは異なり問題解決力なのである。と。

だからこそ、デザイナーは問題をいくつも見つけることができる、

日常に不便さを感じる人ほど向いている職業なのであると書かれている。

 

これからは、

個人の見立てる力と未来を逆算する力

が大切になってくるのだ、と記載されており、

それは今流行っているデザイン思考とは一線を画する。

(非常に納得する。)

というのも、デザイン思考はインサイト深掘り、

それをどうすれば解決できるかをプロトタイプの制作を通じて考えていくので、

アイデアが突飛になりづらいのである。

 

自分が革新したいと思う分野については、

異分野の人、もしくは自分がパッションを持っていることを掛け合わせるのが良いのだ。

だからこそ、いろんな分野を学び、それを横で点と点で結ぶことは本当に大事なんだろ思う。

 

さて、一番大切なのはココなんです。

どうやったらそういうイノベーティブな考え方になれるのか?

 

1ロールプレイング法

あの人だったら、どんなアイデアを出すだろう?

ケーススタディーを増やすことこそが、アイデアの量を増やすのである。

自分みたいな凡人には、確かにこういうことが大事なのかもしれない。

 

2 因数分解法

物理的に物事を細かく分けることもあるし、

一方で時間の概念を取り払うこともある。

 

3 同じ本をミッションを変えてなんどもなんども読んでいく

こうすることで、何かを探しなら新しい視点で本を読むことができる。

 

4 ツールトラッキング方

物事のルーツをひたすらたどり、物事の成り立ちを学ぶ。

 

明日からできる方法だからこそ、私も実施したいと思う。

アイデアをたくさん出せている人って、

きっとたくさん勉強してきた人だ。

最近は、すごくそう感じる。

そして誰でもアイデアマンにはなれる気がする。

 

よし。次は、何かを考察したいと思う。

 

 

 

やりたいことが明確にある20代ほど、価値観を狭めているリスクがある。

 

久々の投稿。

 

今回久々に投稿しようと思った理由は、

自分のアウトプットが圧倒的に不足していることに気づき、

このままでよいのか私の20代後半のスタートは・・・

と愕然としたからである。

 

20代半ば、働き始めて3年くらい経ってくると、

自分はこのままでよいのか症候群にかかり、

周りも徐々に転職を見据えるようになる。

 

私はというと、

今の職場を非常に気に入っているので今すぐ転職したいとは思わないのだが、

このままでよいのか症候群にはかかっている。

 

周囲を見ていて、

下記3つにやめたいと思う理由が集約されるのでは、と思う。

 

⑴現状の環境がいやで逃げ出したいタイプ

⑵仕事に慣れてきて新しいことに漠然とチャレンジしたくなるタイプ

⑶自分のやりたいことができて巣立っていくタイプ

 

今後に繋がると思われやすいのは3であるし、

ポジティブに受け止められやすいのも3だろう。

ただ、私は一番厄介なタイプだと思う。

 

なぜなら、20代半ばで自分のやりたいことを決め切ってしまうと、

周囲からの意見を聞き入れづらくなり、

客観的に物事が見れなくなるような気がするのだ。

(往往にして、頑固者が多いのも事実なのではと感じる。)

 

20代という多感な時期を自分のすきだと思っていることに閉じこもってしまうことで、

機会損失が起きてしまい勿体無く過ごしてしまうように思う。

 

自分がすきと思っていることは、

実は自分がそれがすきと思い込んでいる可能性が多い。

 

最近観たバニラスカイという映画では、

「夢」と「現実」の思い込みの間で揺れ動いていた。

 

夢だと思っていたことが自分の思い込みで現実だったり、

現実だと思っていたことが実は夢であったり、

人間は目の前の事実から逃避行して都合がよいように解釈をする生き物なのである。

 

今目の前のことから逃避行を繰り返し、

都合の良いように「なりたい自分」「やりたいこと」を作り出しているのが現在の就職活動な気がしており、

またそのなかで自分を理解できなかった人が入社した会社とのギャップに苦しんでいる。

 

自分の心に正直になり、

なんとなく好きなこと嫌いなことを抽象的に捉えて、

しっかりと自分を「解釈」して始めて、

就職や転職はすべきなのである。

 

 

 

 

!Welcome To Wonderful World!

はじめまして。当ブログにお越しいただきまして、ありがとうございます。

(どうしても仕事調になってしまう・・・笑)

 

はじめに

 

どうも!

私は都内の広告会社でOLをしているRoseと言います。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?

は?アメリカ人?それとも帰国子女?

 

なんて声が聞こえてきそうですが、

四国の田舎で育ち、サラリーマンの父と主婦の母。

絵に描いたような純ジャパファミリーです♡

 

じゃあ、なんでRoseなんて言葉にするんだよwww

となるかと思うのですが、

これは私がアメリカに少しだけ留学していた時に、

サンディエゴ在住のおじさんから、

Roseのように凛とした素敵な女性になってほしいし、

どんどん世界に羽ばたいてほしい。

という思いから名付けられました。

 

当時は、「ふわ〜なんて素敵なミドルネーム。私モテソウ・・・♡」

なんて思っていたのですが、アメリカにいたときは恥ずかしくて名乗れませんでした。

 

そして働き始めて3年。普通に上記の事なんて忘れてました笑

 

ただそんなおじさんから先日お手紙が届き、

改めてその言葉を思い出したという次第でした。

口には出せないけど、秘めた思いをブログで吐露していきたいと思ってます。

 

ブログのきっかけ

 

ブログ初心者の私が、

どうしていきなりブログ?!かというと、

  • 自分の経験したことをアウトプットする場がない寂しさ
  • 自分の知った新しいすばらしい世界をもっと広げたいというアツい思い
  • 自分が経験を踏まえて新規事業をつくりたいという邪念

この3つの思いにつきます。

 

①については、日常業務でメールばかり打っていて、

自分の思考する時間が少し減っているな〜

文章を書く時間が減っているな〜と思ったことがきっかけです。

書く事は頭を使う。学生時代にESを書いていたときにも思った事です。

いろんな人に見てもらうことを意識して推敲を重ねる作業を、

社会人3年目でも改めてやってみたいと思います。

 

②は現在の仕事にも通ずるのですが、

すばらしいものを作っても、

多くの人に使用してもらう、見てもらわないと意味がありません。

日本にはすばらしい技術や商品がたくさんある。

私が見た世界や経験もすばらしいものがある。

それを広めたいと思って、広告会社に入社したのでした。

それを広めたいと思って、今ブログを書こうと思ってます。

 

③は、私はいつか新規ビジネスを作ってみたいな〜なんて思っているので、

そのときにアイデアの宝庫としてこのブログを読み返したいと思ってます。

 

ブログの内容

 

「Welcome to Wonderful World」

 

という形でドメインを取得しているので、、、

これからは主に、

まだ人が体験していないような、

また体験していてもあっと驚くような見解を、

ブログに記載していきたいと思ってます。

あくまで自分の経験をベースとするので、主観が入ります。

そしてそれに対して、みなさんがどう思ったのかを知りたいと思ってます。

 

私が好きなものは、

旅行(国内、海外問わず)、映画、演劇、クラシック音楽、読書、新しい働き方、教育、クリエイティブ、日本の伝統文化、

です。

 

そしてこれから勉強していきたいと思っているものは、

料理、お金の勉強、株の知識、スタートアップ

です。

(系統違いすぎるけどwww)

だから上記のことをかいていきたいと思います〜

 

 

さいごに

 

このブログは、読んでくださる皆様とのつながりをつくっていければと思ってます。

是非、これからよろしくお願いします*

 

 

FROM Rose